さて、昨年度は中学3年生として高校受験に取り組んでいた我が娘・佐倉満咲さんですが、3月には無事に中学校を卒業、入試もなんとかクリアしたので、4月には大阪府立のとある高校に入学、6月となった現在ではつつがなく女子高校生ライフを満喫されております。
いわば「合格戦隊ジュケンジャー」の戦いはすべて終わり、新番組「高校生活戦隊セイシュンジャー」がスタートしたわけです。
ぃや~、楽しそうでイイなぁ(*^_^*)
……あ、ただし再来年の戦隊は「大学入試戦隊ゴウカクジャー」だから;
卒業式や入学式にまつわるモロモロの事柄については、小学校や中学校のときと共通する部分も多いので、そのあたりは当時の記事から類推していただくとして……
(その他、佐倉満咲がかかわる話題は「今週の佐倉満咲」カテゴリや、PC用サイト表示でサイドバーのプログ内検索ボックスから【 満咲 】などで絞り込むと、いろいろ出てきます)
……今般の中学校の卒業式では、1点だけ、あらためて引っかかった件がありました。
それは卒業式会場における在校生の着席順。
先に保護者席に着席した私たちに続いて、入場してきた在校生たちが、見ると、なぜか男女別に整然と分かれて着席していきます。
もちろん出席簿は男女混合名簿のはず。
はて……!?!?
ギモンは式の中盤に解明されました。
そう、在校生たちが歌う「卒業生を送る歌」、これが混声合唱だったのです。
なるほど。
混声合唱に際して、着席順がパートごとに揃わずにバラバラだと、たしかに歌いにくかろう!
つまり決して「男女別」に座っていたのではなく、あくまでも混声合唱のパート別の着席順だという建前だったのです。
ん~む、というわけで、これについてはやむをえないのですかねー、やはり……。
むろん、それが事実上は「男女別」とイコールになってしまいがちなわけで、意外と見落とされがちな学校トランスジェンダー問題、ひいては学校ジェンダー問題のひとつと訴えることは重要です。
願わくは、中学・高校などでの合唱指導におけるパート分けは「男女」と固定的に紐付けるのではなく、個々の生徒の、本人の希望、および適性(この場合は声域?)にしたがって、柔軟に対応するようになっていってほしいものです。
→【参考】試しに少し検索したら出てきた記事
声とジェンダーを考える/音楽・女性・ジェンダー 小林緑
そうしてやがて桜の花の咲くなかで、高校の入学式も済むと、満咲は「明日のホームルームで自己紹介、どないしょう?」などと、マジ半分ネタ半分で緊張している旨を口にしたりします。
「『ただの人間には興味ありません。この中にレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーがいたら、ボクのところに来なさい。以上!』………で行くんやなかったっけ? w」
「……涼宮ハルヒかいっ!!」
というような心あたたまる親子の会話(!?)も経て、結局は、その翌日の自己紹介のホームルームも大きなトラブルなく終え、その後も部活見学や何やら、順調な進行のうちに、高校生活は滞りなくスタートがきれたようです。
あ、親のほうも、恒例PTAのクラス役員決めの厳正なる抽せん、とりあえず今年度は外れました;
当たったら当たったで、もう「戸籍上はお父さんなお母さん」で行こうとは思っていたのですがね(^^ゞ。
満咲のほうも、そのあたりについては、高校からはあるていどオープンにしながら、最も日頃の説明が面倒ではない落としどころを調整するつもりでいるようです。
その後は、部活選びも、中学よりも部活のラインナップが豊富な分、いろいろ仮入部の行き甲斐があったようですし、現在では遠足や体育祭も経て、ノリノリでご満悦な日々である模様。
ただ、中間テストの結果を受けて、ちょいと勉強のほうは気になるようですがね。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ちなみに近日「三者懇談会」もあるので、そこでは成績の話題に先駆けて、
「あっ、お母様ですね」
「えぇーと、戸籍上は父にあたります(^^ゞ」
……という会話もおこなわれる予定です、たぶん(^o^;)。
そんなわけで、いよいよ「今週の佐倉満咲・高校編」に突入したわけですが、「中学編」に引き続き、ネタ自体は豊富に供給されたとしても、本人や周辺の人物のプライバシー・個人情報に配慮して、このブログで公開することがかなわないことも多々あるやもしれません。
その点、今後ともあしからずご了承のほど、お願いいたします。
ツイッターでの小ネタの小出しは、こちらも引き続きおこなっておりますので、よろしければそちらも適宜チェックしてください。
→ ツイログを【娘】【満咲】などで絞り込むのもよいかも
はてさて、いよいよ本当に女子高校生になった「『女子高生になれなかった少年』の娘」。
この現実の西暦2015年度に、いったいどんな「リアル『1999年の子どもたち』物語」を紡いでいってくれるのでしょうか。
※初出が10年あまり前の西暦2015年度が舞台の小説『1999年の子どもたち』では、高校生になった作者の娘という設定の架空のキャラとして、現実より一足早く高校生になっていた佐倉満咲さんであります(^^ゞ
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◎ワケアリな事情は申告すればよろし(^^)ノ
入学にあたっての学校への提出書類はいろいろあるわけですが、大阪府立高校ではこういう個人の事情を伝える用紙も取り入れられているので、これなら例えば性別違和にかかわる事項がある場合などにも、相談するきっかけに使えたりするのではないでしょうか。
もっともコノ箇所は保護者が記入するところなので、本人と保護者がきちんと連携できる関係でなければなりませんが。
(ちなみにウチの場合、これとは別の「家庭状況票」みたいなほうで、父親がワケアリな旨はサラっと記述しておきました)
◎教科書に「ジェンダー」の語
4月の当初に買い揃えた教科書や副教材の類を早速チェックしてみたところ、今どきは社会や家庭科のそれらにおいては当然に「男女共同参画社会」などの語は出てきますし、「ジェンダー」についても説明が載ってます。
「同性愛」「性同一性障害」などについても、そうした基本線からは逸脱しない用語に立脚した簡潔な説明ではあるものの、多様な性のあり方を前提にしていく方向で記述されていましたので、ある意味やはり時代は進んだと言うべきでしょう。
あと、その後あるていど授業が進んだある日、家庭科では、いわゆる「将来結婚して家庭を持つのに備えて」みたいなテーマの授業があったらしいのですが、満咲によると、その授業での担当の先生の言い回しが、終始「人生を共にするパートナーとの一緒に同居する共同生活」のような感じで統一され、決して「結婚」とは形容されなかったらしいのです。
なんと多様な家族のありように配慮した仕様の表現!
「よくわかった先生」だったということのようです。
◎かたや「男女」を重用する教材もやっぱりある;
しかし一方では各種教材の中で「男女」はまだまだ幅をきかせています。
例えば数学の問題集の「順列と組み合わせ」での例題解説では、以下のように因習的に重用されていたりします。
まぁ長年の伝統だし(!?)、男女二元的な「性別」観にギモンを持っていない生徒にはわかりやすい事例ということで十歩譲るのもいたしかたないかもしれませんが、いゃぃやソレでもこの[基本32]の問題、コレって「男女」はゼンゼン関係ないやろ!?
(この条件だとつまるところ単に「9人が」にすぎないのでは)
◎生活指導の先生とソリが悪そう(^^ゞ
そして満咲が言うには「いゃー悪い先生やないねんけど、生活指導の先生、なんかちょっと苦手やわぁ」とのこと。
どうやら、その先生なりにキチンと生徒に愛情を持ってメリハリのある指導を熱心にしてくれているようなのですが、どうしてもその先生の視点からの最善が尽くされる中で、いささか生徒たちのニーズとの乖離もあるようなのです。例えて言えば「ロッテンマイヤーさん」タイプなのでしょうか。
そんなわけなので、保護者向けの説明会のおりに、あらためて様子を窺ってみると、なるほど、どことなく「男は男らしく、女は女らしく」オーラが出ているようにも見受けられなくはありません。
(一般論として、いわゆる教職員研修会などで「今までLGBTの人には会ったことがなかったので(今日のお話は新鮮で有意義でした)」というような感想を述べられるタイプの方は、そこはかとなく「男は男らしく、女は女らしく」オーラを醸しだしておられることが多いのですが、それはすなわち先生がそういうオーラを出してはるからカミングアウトしてもらえないだけだったりします。実際、逆にカミングアウトされやすい先生は、複数のセクシュアルマイノリティ生徒からカミングアウトされて相談に乗ることになっていたりしがちです)
まぁ、そのあたりは今後の研修に励んでいただくとして、現時点でそういう感じの先生と満咲のソリの合い加減が芳しくないというのは、やはり必然なのでしょうか。
◇◇
「………で、結局、今のところは明らかな『セクマイ事案』はないんかぁ」
「ないな~。(性的少数者は人口の)5%比率で言えばクラスに2人はおるはずやけど、でもまぁ、まだこの時期やとカミングアウト等々には至ってない可能性も高いしナ……」
「そーかー、となるとやっぱ何かあるとしたらこの先かぁ。まぁソノときは無理のない範囲でできることしたってやれ」
「……いっそのこと今のうちに、何かレインボーグッズ身に付けていって、さりげなくアピールする?(^o^;) たしかバッジとアームバンド余ってたやろ」
「エェけど、アクセサリーは校則で禁止やなかったっけ」
「せやな。生指の先生に説明すんのも面倒そうや;」
「没収されたりしたらつまらんしナ」
「…………でな、没収された後(説教と引き換えに返却ということで)生徒相談室に呼び出されてビビって行ってみたら、先生から『じつは先生、ずっと前から密かに悩んでて……』みたいに逆に相談されたりしてナ w(^o^;)ノ」
「(゚∀゚)(その発想はなかった!)」
※発想がなかったのは「逆に相談される」という点。前述の5%比率で考えると教職員の中にも複数のセクシュアルマイノリティが当然に含まれるのは言うまでもありません
……そんなこんなで、リアル『1999年の子どもたち』生活は、小説版の中のようなガチなセクマイ事案は今のところないようですが、すでに満咲なりの感性で周囲のジェンダー観念・セクシュアリティ観念を耕していってるようです。
結果として満咲の周辺は、そのスジの意識がかなりフレキシブルとなり、例えばクラスの人間関係なども、比較的性別での分断度が少ない、いわゆる男女ともども仲のよいクラスになっているらしいです。
もとより今どきの高校生たちの感性は、思った以上に柔軟で、「恋愛は男女………でなくても、べつによい」をはじめとして、ジェンダーやセクシュアリティにかかわる規範意識は、みんなかなり緩やかな様子。
やはり今どきの若い子たちは侮れないゾ (^^)v
「……でな、鮎原光太郎(仮名)が、めっちゃオモロイねん」
「誰、それ??」
「今となりの席の男子。なんか波長が合ぅて、エネルギー使わんといろいろしゃべれる奴やねん」」
「ほほぅ……」
なるほど、「恋愛は男女で」+「男女なら恋愛で」の呪いのかかり具合が相当に軽い我が娘・満咲にあっては、クラスメートの男子生徒とも、ほぼ女子相手なのとシームレスに、気軽に話せる間柄の相手が少なくないのでしょう。
で、中でも特に相性が良いのか気軽に話せるという、その鮎原光太郎のキャラを満咲が語るところを要約すると、出席番号1番で、適度にノリがよく明るくひょうきんで、顔は四捨五入すると三枚目ながら、人格的には草食系の根は誠実なイケメン……とのこと。
「あぁ、こいつや、コイツ」
そうしてスマホの画面を示してくれたところ、なるほど、画像にはそれっぽい男子生徒が。
…………。
しかし、この鮎原光太郎、画像も含めた上述のプロフィールに、心なしか既視感があるキャラです。
はて?
こういう奴、どっかにいたよなぁ、誰だろう……!?
しばし考えた後、ワタシはハタと思い至りました。
「……こいつ、アレやん。この光太郎のキャラって、『1999年の子どもたち』に出てくる青木太陽クンやん!」
「あっ、ホンマやな」
どうやら鮎原光太郎クンは、佐倉満咲さんの高校生活小説版においてクラスメートでフランクに懇意な関係になる青木太陽クンに相当するポジションの登場人物であるようです。
満咲も、なるほどとばかりに得心がいった模様。
ここまで、「遠足でクラスみんな仲良くなってご満悦」「体育祭も盛り上がって準優勝」といった要素については、順次小説版と同様の展開を回収済みにしてきた「リアル満咲さんの高校生活」ですが、なんのことはない、登場キャラクターにおいても着実に小説版をトレースしているのではないですか!
となると、やはりこの先、事実は小説よりも奇なりな事象が発生する可能性から、どうやら目は離せないようであります。
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~ §全7巻§
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